アメフトといえば、日本大学での悪質タックル問題で残念な形で一気に注目されましたが、何よりも巻き込まれてしまった子供たちは本当に可哀想でした。何のための組織であったのでしょうか? この問題での大人たちの身勝手な指導方針と保身によって、多くの子供たちの大切な青春の1ページが消えてしまいました。

 

今回の事件は、本来は子供たちの為の組織であったはずが、いつの間にか一部の大人たちのための組織になっていたことに多くの国民が憤慨した事件であったと思います。

 

但し、本来的にはアメフトに起源を求めるのではなく、全ての学生スポーツで起こりえることとして捉えるべきだと思っています。アメフトの競技性が、今回の事件を結びつけてしまっていると思いますが、逆にどんなスポーツでも起こりえることと考えなければまた教訓は生かされないことになってしまいかねません。今回の一連の騒動でアメフトのイメージは大きく失墜しました。業界関係者はこれを機に大学スポーツとしての模範となるようなイメージになるよう全力を挙げて改革に取り組んでほしいと思います。

 

負のイメージが定着してしまったアメフトではありますが、一方で私が体験してきたアメフトのイメージは違います。

 

アメフトとは鍛錬と頭脳、そして自治の結集であり、まさに大学スポーツとの印象で、衝撃的な出会いでした。ただ鍛錬に勤しむのではなく、それと同様に高度な頭脳レベルが要求される。それをさらに学生が主体で運営していく。あの事件に見られたような何か巨大な黒い権力が、学生の前に立ち塞がっている感じとはだいぶ違います。

 

私の大学は関東で6番目にアメフトができたとされ、創部60年以上の歴史を持ちますが、他の有名校と違い、スポーツ推薦もないため、ほとんど経験者もいなく、未経験者を一から勧誘するしかありません。戦術が大きな割合を占めるアメフトにおいて、未経験者を一から勧誘して全体で共有するのは本当に大変な作業です。

 

戦術の完成度も上げるために日々の練習も全てビデオで撮影し、一つ一つ皆で確認するため毎日終電近い生活となるわけです。新入生の勧誘から、日々の練習、合宿や試合の運営などもこなしていき、まさに大学生が行うスポーツといった新鮮さを当時は感じていました。アメフトとの出会いは学生自治がどんなに重要かを理解させてくれるもので、コーチの言うことが絶対というような状況は私の大学ではだいぶ違うと思います。今回の事件では、指導者の圧倒的な権力と、大人たちの為の組織になっていたことが引き起こしたといえると思いますが、逆に多くの大学のアメフト部で私と同じように感じている人が多いと思います。

 

 とは言っても、どんな組織も時には学生の主体性を奪ってしまうことは容易に起こりえますし、私の指導下でも起こっていたこともあるかもしれません。指導者は常に自己を顧みる必要がありますし、また指導者以外のからの監視ということも子供たちを守っていく上では必要でしょう。

 

今回の事件も、伝統の名を借りた組織が肥大化し、いつの間にか学生のための組織であることを忘れ、伝統の名のもとに伝統を守ることが第一とされてしまったことに悲劇があると言えると思います。伝統は背負わされるものではなく、背負うもの。自発的に伝統をさらに磨き上げていこうという誇りがあってこそ、第3者にも感動を与え得るのだと思います。

 

アメフトのみならず、全ての大学スポーツにおいて、学生スポーツとは何なのかを今一度見直す時期に来ているのではないでしょうか?

 

最後に、日大は今回の件では、無意識のうちに、闇の部分を作り上げてしまっていたことが露呈しましたが、輝かしい歴史をもつ同大学のアメフト部には、過去の偉業を成し得た強靭な精神があるのは間違いなく、今回の件でまた新しく生まれ変わって復活してくれると期待してやみません。潰すのは簡単ですが、それ以上に生まれ変われることを示せるほうに価値があると思います。これからも社会の継続的な関心と監視は必要と思いますが、徹底的な改革を断行して、ぜひ新生フェニックス(日大アメフト部のチーム名称)を見せてほしいと願います。